12年クリスマスイブにうちにやってきた息子まめさんは、
15年3月1日に死んでしまった。
考えや概念は纏まっていたけれど、
今日まで文章にすることができなかったのだ。
えんぞうは恐らく、
今度のことを何かの形で纏めると思うし、
何かの形で意味のある活動体を組織すると思うけれど、
今はそういう生気が全く宿っていないので、
取り急ぎは、
おぼえがきとしてここに書き残しておこうと思う。
それに、
この事はとてもつらいことなので、
人間の脳みそは賢いから、
恐らく早くに忘れてしまうだろうから、
今すぐに、ここに書き留めておこうと思う。
2歳7ヶ月。病死だった。
どこに連れて行っても褒められる、
つやつやとした黒い毛並みの、
スラリとして脚の長い、
とても美しい黒パグの男の子だった。
物覚えはいまいち・・・
それは多分性格的な頑固さから来るものだったかもしれないが、
素直で、前向きで、甘えん坊で、
ほんとうにいい子だった。
マイペースで、人に媚びることは無かった。
でも、人のことは大好きだったし、犬のお友達のことも大好きだった。
彼が来てはじめの一年は、
えんぞうにとっても妻にとっても、
また彼にとっても、
家族の形成期だったから、
それは言うほどの事は無いかもしれないが、
それなりに大変な一年間だった。
忙しかったしね。
とはいっても、
毎日の散歩は楽しみになったし、
何より、
どんなに辛く苦しいことがあっても、
全力で向き合ってくれて、
存在を受け入れてくれる彼に、
えんぞうも妻も、
いつも笑顔にしてもらっていたと思う。
えんぞうは13年を以って活動の出力を下げることを決めていたから、
14年はほんとうに多くの時間を家族で過ごしたし、
家族の絆が太く力強く育った一年だったと思う。
そして、
15年の5月に彼はお兄ちゃんになるはずだった。
世の中には様々な最期があると思うけど、
その中では格別に幸せな最期だったと思う。
また、
どういう死に方をしても、
それはそいつにとって寿命だと思っているので、
その意味で彼はとても美しい人生を殆ど全量で駆け抜けて謳歌して終えたと思う。
病名はパグ脳炎。
原因不明(おおかた遺伝病だと言われている)の犬種特有の病気だ。
発症確率は0.5%とも、
1%とも言われているが、
ネット特有の情報収集に拠る偏りかもしれないが・・・
実感としてもう少し多い気もする。
ざっくりと言えば免疫系の疾患で、
自分で自分の脳を攻撃して、
発症から数日、もって数ヶ月で死ぬ。
奇跡的に数年生き延びる個体もある。
症状も劇的で悲惨だ。
まずてんかん(かそれに類する神経症状)から発症する。
瞬く間に視力を失い、
顔は傾き、
旋回運動と言って片方にだけグルグルと回るようになり、
やがて自立ができなくなり、
個体によっては人間でいうところのアルツハイマーの末期状況の容態となり、
昏睡に陥り、
最終的には衰弱か呼吸困難で死ぬ。
この間が長かろうが短かろうが、
頻度の差はあれ、
てんかん発作を繰り返す。
ひどい場合数分置きに繰り返す発作が数時間続くか、
発作そのものが1時間近く続くそうだ。
まめは発症からわずか3日で死んでしまった。
てんかん発作に関して言えば、
本人はその間意識を失っているようなので、
不幸中の幸いにも恐らくは苦しむような事は無かったろうし、
何が起きているのか全くわからないうちにあっという間に死んでしまったのだろう。
死んだ事すら認識できていないかもしれないが。
それは、
痛みを伴う種々の病や事故等の他殺に比べれば幸せだったのかも知れない。
様々な予兆はあったのだが・・・
ごく簡単に言えば、
彼の死は事故のように突然かつ瞬間的にやってきたと言って良い。
発症の数時間前まで彼はたらふく御飯を食べ、両親と遊んでいたし、
毎週の様に車でどこかに出かけていたし、
1ヶ月前には家族で1泊の静岡旅行に出かけて、
人間以上にビュッフェを平らげて両親を驚かせていたほどだったから。
けれど、確かに、予兆はあった。
亡くなる2週間前に彼は自分で目を傷つけて、
近くの獣医に両親を連れて行かせていた。
その数日後に正月に買った彼のお守りが有り得ない形で破損した。
それから数日後にえんぞうが気に入っていたキーホルダーが立て続けに壊れた。
ほぼ同時期に、皿を洗うえんぞうがふと見た彼の顔は老犬だった。
また、日中ふと見た彼の左目が真紅に燃えていて、
見間違えかと確認すると何事もなく彼のいつもの澄んだ青みのかかった瞳があるのだが、
気のせいか、と立ち上がり彼を見やると、また、彼の左目は真紅に燃えていた。
亡くなる前週に彼は両親に自分を風呂に入れさせた。
朝えんぞうが風呂から上がり台所で食事を取っていると、彼は布団から出てきて物欲しそうにするのだが、この一週間はそれがなかった。
えんぞうが帰宅後ソファでスマホをいじっていると、彼は膝に飛び乗ってきていたのだが、何故か彼は飛び乗ることをせず、ただ立ち上がって手を脚に掛けて、こちらを見上げるだけだった。
前日には自力でうんちとおしっこを済ませ、たらふく御飯を食べた。
状況を報告しようと閉店後は絶対に出ない筈の購入元の店舗の電話に店長を出させたのも多分彼だし、店長は「この電話には出ないと行けないと思った」と言っていた。
彼ははじめの大発作が起きた金曜日の明け方にかつぎ込んだ救急動物病院で12時間を過ごした。
翌日土曜日の明け方から、彼は全身麻酔から醒めながら、驚くべき回復力を見せた。
既に視力を失いながら、
ふらつきながらも自力で立ち、歩き、
両親とあそびたがり、甘え、
家族一緒で昼寝をして、
夕方には抱きかかえられながらでも散歩に出た程だ。
帰り際に夕食を買ったスーパーの前のベンチで3人でお茶をした。
晩御飯は3人で楽しく食べた。
彼は遅くまで遊びたがって、寝ようとしなかった。
よく晴れた温かい土曜日だった。
光に満ち溢れた幸せな土曜日だった。
神様にそれがちょっとでもいいから、長く続くことを祈った。
その12時間後に、
おとうさんとおかあさんの腕の中で、
彼は死んでしまった。
失ったものよりも、
得たもののほうが多いからかも知れないが、
不思議と今なお喪失感は無いし、
あれをしてば良かったとか、何が悪かったとか、
そういう執着も無い。
また、
彼を失ったから、二度と犬を飼わない、とは思わないし、
寧ろ、
いまやえんぞうの中の家族というか我が家のビジョンの中には犬がいるし、
恐らくご縁のあった子をお迎えして楽しく暮らすのだろうととも思う。
ただ、
時折無性に、ほかでもなく代わりの居ない、かけがえのない、「彼」に会いたいなぁ、とふと思う。
それは風が吹いた様に突然やって来ては、すぐに何処かへ消えてしまう。
それは一生時折吹く風だと思う。
これから春がやってきて、
花と緑が溢れて、
僕はほんとうに父親になる。
« 続きを隠す